フジサンケイグループの「資本の論理」徹底解説―メディア・不動産・通信販売まで紐解く巨大コングロマリットの資本戦略―

M&A・組織再編

フジサンケイグループ
「資本の論理」徹底解説

  1. はじめに
  2. 1. フジサンケイグループとは:資本の目線で見る概要
    1. 多角的事業の根底にある「グループ経営」の狙い
  3. 2. グループ創生期:ラジオ局設立から新聞社買収までの資本戦略
    1. 2-1. 文化放送・ニッポン放送が走り出す
    2. 2-2. 新聞社への資本投入:産経新聞社買収
  4. 3. フジテレビの設立と4社連携:ラジオ・新聞・映画各社の出資比率
    1. 3-1. 「株式会社富士テレビジョン」の社名と資本構造
    2. 3-2. 映画会社の思惑とラジオ側の利害
  5. 4. フジサンケイグループ結成:鹿内家のトップダウンとガバナンス
    1. 4-1. 1967年のグループ化
    2. 4-2. 鹿内家の強力な支配
  6. 5. 「リビング作戦」とメディアの収益多角化:テレビと通販の資本ロジック
    1. 5-1. フジテレビ×フリーペーパー×通信販売
    2. 5-2. 資本投下と投資回収
  7. 6. 鹿内春雄の時代:映画・イベント投資と資本回収の成功モデル
    1. 6-1. “楽しくなければテレビじゃない!”戦略
    2. 6-2. 投資モデル:フィルム投資と興行収入
    3. 6-3. 春雄の急逝とガバナンスの変調
  8. 7. 鹿内家による世襲構想とその崩壊:資本構成が崩れたワケ
    1. 7-1. 世襲体制を維持するための「資本の囲い込み」
    2. 7-2. フジサンケイグループ会議によるトップダウンの限界
    3. 7-3. 鹿内家がグループ株式を手放すまで
  9. 8. ニッポン放送買収騒動:ライブドアとフジサンケイの資本攻防
    1. 8-1. TOB(株式公開買付け)の発表とライブドアの奇襲
    2. 8-2. 新株予約権の発行差し止め:資本戦略に対する司法の判断
    3. 8-3. SBI(ソフトバンク・インベストメント)のホワイトナイトと最終和解
  10. 9. フジ・メディア・ホールディングス誕生:認定放送持株会社による経営効率化
    1. 9-1. 2008年10月1日の歴史的再編
    2. 9-2. 資本効率の向上とリスク分離
  11. 10. サンケイビルの完全子会社化とリビング新聞社グループの離脱
    1. 10-1. サンケイビルのTOBと不動産セグメント強化
    2. 10-2. サンケイリビング新聞社のRIZAPグループ入り
  12. 11. 資本関係を整理する:主要企業・法人の財務構造と連結・持分法のポイント
  13. 12. 放送事業と新聞事業のクロスオーナーシップ:文化放送の「形式的参加」問題
  14. 13. スポーツビジネスと資本:プロ野球球団の保有と譲渡の背景
    1. 13-1. 国鉄スワローズ買収と「サンケイスワローズ」
    2. 13-2. 横浜ベイスターズ株の保有と譲渡
  15. 14. 公益法人グループと広告賞・文化賞:非営利法人を通じたブランディング
  16. 15. 結論:資本はグループをどう変え、どう未来をつくるのか?
  17. 総括

はじめに

はじめまして、エンジョイ経理編集長です。今回は、日本最大級のメディア・コングロマリットとして知られるフジサンケイグループ(Fujisankei Communications Group、以下「FCG」)を、「資本の論理」という経理・財務の視点で徹底解説していきたいと思います。

フジサンケイグループは放送局(フジテレビ・ニッポン放送・文化放送)や新聞社(産経新聞社)、音楽・映像事業(ポニーキャニオン)、通信販売(ディノス)、不動産・都市開発(サンケイビル)など、数多くの企業・法人で構成されており、2024年10月時点で79社・4法人・3つの美術館が名を連ねています。グループ全体の従業員数は約13,000名にのぼり、多角的な収益源を確保することで、日本のメディア界を牽引してきた存在です。

しかし、その「多角的収益構造」の真髄はどこにあるのでしょうか? また、どうしてこれほどまでに事業領域が広がりながら、ひとつの「グループ」としてコントロールを維持できるのでしょうか? 本稿では、その答えを「資本関係」と「ガバナンス(統治)」という2つのキーワードで紐解いていきます。グループの成り立ちから再編の経緯、さらにはライブドアによる買収騒動、そして認定放送持株会社への移行まで――経理目線で理解すればこそ見えてくる、フジサンケイグループの『資本の論理』。ぜひ最後までお付き合いください。



1. フジサンケイグループとは:資本の目線で見る概要

多角的事業の根底にある「グループ経営」の狙い

フジサンケイグループ(FCG)は、「認定放送持株会社」であるフジ・メディア・ホールディングス(FMH)が中核を担い、その下にテレビ局(フジテレビジョン)、ラジオ局(ニッポン放送、文化放送)、新聞社(産経新聞社、不動産事業を行うサンケイビル)、音楽事業(ポニーキャニオン)など、多種多様な企業がぶら下がる構造です。

端的に言うと、この構造がもたらすメリットは「リスク分散」と「収益安定化」です。放送業や新聞業は景気や広告市場に左右されやすい特性を持ちます。そこで、不動産収益や出版・通信販売など、異なるビジネスモデルを組み込むことで、単一事業のリスクをグループ全体でヘッジする戦略を取っているわけです。

しかも、日本の放送法や電波行政の規制をクリアしながら、これだけの多角経営を可能にしているのは、放送免許を持つ会社を持株会社化し、その下に事業会社を新設分割するという高度な資本技術のなせる業。これによって、電波事業の公共性を担保しつつ、資本市場からの直接的な資金調達がしやすい「株式上場会社グループ」を成立させている点が注目に値します。


2. グループ創生期:ラジオ局設立から新聞社買収までの資本戦略

2-1. 文化放送・ニッポン放送が走り出す

フジサンケイグループの歴史は、実はラジオ局を軸に始まりました。1951年、聖パウロ修道会らの主導で「財団法人日本文化放送協会」が設立されたものの、内部対立が激化して経営危機に陥ります。そこで財団解散後の1956年、「株式会社文化放送」として再スタートを切り、国策パルプ工業社長の水野成夫が初代社長を務める形となりました。

一方、1954年には財界主導で「株式会社ニッポン放送」も誕生。ここで日経連初代専務理事の鹿内信隆が専務として実務を担い、事実上の経営トップとなります。この2社が後にフジテレビや産経新聞社を巻き込む形で、“メディア・コングロマリット”の礎を築くわけですが、当時はラジオ放送が世の主流媒体。ニュースや音楽、バラエティなどマスメディアとして大きな影響力を持っていました。

2-2. 新聞社への資本投入:産経新聞社買収

メディアというものは、新聞・ラジオ・テレビがそれぞれ補完し合う関係にあります。1958年、水野成夫が経営危機だった産経新聞社(当時の社名は「産業経済新聞社」)の社長に就任したことが大きな分岐点でした。新聞社を守る形でニッポン放送や文化放送などと手を結ぶことで、ラジオと新聞という異なる媒体が資本関係で結びつき、相互補完を可能にしたのです。

資本の論理から見ると、これは「経営難の新聞社に新たな資本注入」を行い、「ラジオ・テレビ・新聞の広告や人事、さらに記事ソースの共有化を図る」というシナジー重視の動きでした。新規株式の割当増資や社債の引受などの手法を駆使して、当時の財界や金融機関が一体となって産経新聞社をサポートしたわけです。


3. フジテレビの設立と4社連携:ラジオ・新聞・映画各社の出資比率

3-1. 「株式会社富士テレビジョン」の社名と資本構造

フジサンケイグループのテレビ放送部門であるフジテレビは、1957年に「株式会社富士テレビジョン」として設立されました。出資母体は大きく分けて、

  • ニッポン放送
  • 文化放送
  • 映画3社(東宝・松竹・大映)
    の連合体。このうち、ラジオ2社(ニッポン放送・文化放送)が合計で約8割の出資比率をもっていたというのがポイントです。建前上はラジオ2社が対等でしたが、実務を担う鹿内信隆(ニッポン放送専務)が徐々に主導権を握ります。

3-2. 映画会社の思惑とラジオ側の利害

映画3社が参入した背景には、「テレビの普及によって映画界が脅威にさらされる前に、自らテレビ事業に投資しよう」という狙いがありました。一方でラジオ局側としては、映画会社の資本を呼び込むことで初期投資を回収し、かつ映画コンテンツをテレビ放送に活用するシナジーを得ることができる。ここに「コンテンツと放送プラットフォームの融合」という、現代でも通じる資本論理の原型が見え隠れします。


4. フジサンケイグループ結成:鹿内家のトップダウンとガバナンス

4-1. 1967年のグループ化

こうしてラジオ・新聞・テレビの連携が進む中、1967年12月に正式に「フジサンケイグループ」という名称が定まりました。翌1968年、フジテレビ・産経新聞社・ニッポン放送の3社トップを兼務するのが、鹿内信隆。さらに4社目の文化放送が加わっての連携体制が確立されます。

このとき重視されたのは、「グループ内コーポレート機能の一本化」です。経理・人事・総務・財務などをまとめてフジサンケイグループ会議が統括し、ここで重要施策や予算が承認される仕組みをとりました。資本・人事の両面でトップダウンを徹底し、メディア企業としてのスピード感ある意思決定が可能となったのです。

4-2. 鹿内家の強力な支配

鹿内信隆が議長を務めるフジサンケイグループ会議は、実質的に“CEO”の権限を備えていました。これは、資本多数派の地位を握り、人事権も集約していたからにほかなりません。具体的には、フジテレビや産経新聞社、ニッポン放送の出資比率と役員構成を巧みにコントロールし、グループ内の経営判断を一本化していたのです。
「持株会社」という形態がまだ普及していなかった時代にあって、鹿内家による事実上の「一族経営」とも言うべきガバナンスが確立されたともいえます。


5. 「リビング作戦」とメディアの収益多角化:テレビと通販の資本ロジック

5-1. フジテレビ×フリーペーパー×通信販売

1970年代に入ると、フジサンケイグループは前例の少ない通信販売ビジネスにいち早く進出しました。これは「東京ホームジョッキー」を皮切りに、フジテレビが生活情報番組と通販企画を組み合わせたのが始まりです。そして、同時期に産経新聞社がフリーペーパー「フジサンケイリビングニュース」を創刊し、テレビ番組との連動を図ります。

  • テレビ番組で商品を紹介 → フリーペーパーで詳細情報を掲載 → 電話・ハガキで注文
  • この流れを処理するため、「株式会社ディノス」(現DINOS CORPORATION)を設立し、商品の選定・検品・発送などを一括管理

ここには、放送の広告収益×通販の売上×紙媒体の広告掲載料というマルチストリームの収益モデルがありました。テレビで集客し、新聞・フリーペーパーでも宣伝し、最終的に通販会社が利益を得るという、一連のプロセスがグループ内で完結するように資本・業務フローが組まれているわけです。

5-2. 資本投下と投資回収

「リビング作戦」では、初期投資としてフリーペーパーの印刷・配送体制の整備やテレビ番組制作費が必要でした。しかし、通信販売で得られるマージン(販売手数料)や広告収益が上積みされることで、投資回収は比較的早期に達成できます。これは、複数メディアの垂直統合に資本を集中させることでレバレッジを効かせ、収益を拡大させるビジネスモデルの典型例といえるでしょう。


6. 鹿内春雄の時代:映画・イベント投資と資本回収の成功モデル

6-1. “楽しくなければテレビじゃない!”戦略

1980年代半ば、鹿内信隆の長男・鹿内春雄がフジテレビのトップに就任し、グループ会議議長として強力なエンターテインメント路線を打ち出します。このとき掲げられたスローガンが「楽しくなければテレビじゃない!」です。テレビ番組の「バラエティ化」が急速に進む中、映画やイベントへの積極投資が際立っていました。

  • 映画:『南極物語』(1983年)・『ビルマの竪琴』(1985年)・『子猫物語』(1986年)など
  • 大型イベント:『コミュニケーションカーニバル 夢工場’87』など

6-2. 投資モデル:フィルム投資と興行収入

フジテレビが映画を自社企画・出資する意義は大きく分けて二つあります。

  1. 映画ビジネスそのものの配給収入・興行収入
  2. 放送権利や関連グッズ、音楽出版(ポニーキャニオン)の連携

このように、映画に投下された資本は興行で回収されるだけでなく、テレビ放映権やグッズ販売など二次・三次利用を通じて収益化され、グループ内の各企業に利益が循環していきます。『子猫物語』が北米でもヒットし、当時の邦画実写映画の全米興行収入記録を更新したことは象徴的なエピソードといえるでしょう。

6-3. 春雄の急逝とガバナンスの変調

しかし、1988年4月16日に鹿内春雄は42歳の若さで急逝します。これにより、フジサンケイグループのトップは再び鹿内信隆が握りましたが、その後の世襲体制(鹿内宏明を養子に迎えた)は、1992年に大きな軋轢を生み出し、最終的には鹿内家と日枝久らフジテレビ幹部の対立が表面化。やがて鹿内宏明は解任され、グループにおける鹿内家の資本支配は大きく後退します。


7. 鹿内家による世襲構想とその崩壊:資本構成が崩れたワケ

7-1. 世襲体制を維持するための「資本の囲い込み」

鹿内信隆は、自らの後継者として娘婿となった佐藤宏明(改姓で「鹿内宏明」)を迎え、グループの株式構造を安定化させようと試みました。ニッポン放送株式やフジテレビ株式を「一族で保有する形」によって、議決権を確保する戦略をとったのです。

7-2. フジサンケイグループ会議によるトップダウンの限界

しかし、企業が巨大化し、上場企業も増えていくにつれ、社会的責任とガバナンスの要求は高まっていきます。いわゆる“ワンマン経営”の限界を迎えたのです。1992年、日枝久(当時フジテレビ社長)をはじめとする取締役陣が、産経新聞社の取締役会で鹿内宏明を解任し、グループ会議議長・フジテレビやニッポン放送の会長職から一掃したのは象徴的な事件でした。

7-3. 鹿内家がグループ株式を手放すまで

2005年、鹿内宏明夫妻はニッポン放送株式約250万株を大和証券SMBCに売却。これにより、フジサンケイグループにおける鹿内家の資本支配は完全に消滅します。ここでようやく、フジサンケイグループは“鹿内家の一族経営”という呪縛から解放され、より透明性の高いガバナンス体制へ移行するきっかけとなりました。


8. ニッポン放送買収騒動:ライブドアとフジサンケイの資本攻防

8-1. TOB(株式公開買付け)の発表とライブドアの奇襲

2005年1月17日、フジテレビは筆頭株主であるニッポン放送の株式を取得し、子会社化を進める目的でTOB(株式公開買付け)を発表しました。しかし、その矢先にライブドア(当時・堀江貴文氏が率いるIT企業)が市場外取引(ToSTNeT-1)を使ってニッポン放送株式を大量取得。一夜にしてライブドアが筆頭株主となったのです。

8-2. 新株予約権の発行差し止め:資本戦略に対する司法の判断

ニッポン放送側はライブドアの経営支配を防ぐため、新株予約権をフジテレビに割り当てようと画策しました。しかし、ライブドアは東京地裁に対して発行差し止めを申請し、裁判所は認容。ニッポン放送の経営陣が取ろうとした対抗策が頓挫する結果となります。

これは、企業防衛策(いわゆるポイズンピル)を発動するには株主総会の承認や一定の正当性が必要であるという、当時としては革新的な司法判断でした。つまり、日本の資本市場における“会社支配”の在り方が問い直された象徴的事件だったのです。

8-3. SBI(ソフトバンク・インベストメント)のホワイトナイトと最終和解

そこでホワイトナイトとして登場したのが、ソフトバンクグループの投資会社であるSBI(当時ソフトバンク・インベストメント)。同社がニッポン放送の保有するフジテレビ株式を株式消費貸借の形で借り受け、ライブドアによるフジテレビ支配を防ぎました。その後、フジテレビ・ニッポン放送・ライブドアの三者で和解が成立。最終的にはフジテレビがニッポン放送を完全子会社化し、株式交換などを経て2006年4月1日に“旧ニッポン放送”はフジテレビに吸収合併されました。

資本の論理から見ると、この一連の騒動は「放送事業に対する敵対的買収は世論の猛反発を受けやすい」という現実や、「ポイズンピル発動における司法判断」など、日本企業におけるM&Aや買収防衛の在り方に大きな影響を与えた一例と言えます。


9. フジ・メディア・ホールディングス誕生:認定放送持株会社による経営効率化

9-1. 2008年10月1日の歴史的再編

これらの騒動を経て、フジテレビは2008年10月1日に日本初の「認定放送持株会社」へ移行し、商号を「株式会社フジ・メディア・ホールディングス(FMH)」に変更しました。放送免許は新設分割された2代目の「株式会社フジテレビジョン」に承継し、FMH自体は事業持株会社として上場を維持しています。

9-2. 資本効率の向上とリスク分離

従来、テレビ局が自ら多種多様な事業を行う場合、放送法や電波行政上の規制が厳しく、かつ赤字事業を抱え込むと放送本体の健全性が損なわれるリスクがありました。ところが、持株会社体制に移行することで、「放送免許を受ける放送事業会社」と「その他の事業会社(映像制作、通信販売、イベント運営、不動産など)」を切り分けられます。結果、経営の独立性が高まり、投資リスクを明確にすることが可能になりました。

加えて、連結決算においてはセグメント別(放送・メディアコンテンツ事業、都市開発・観光事業、その他事業など)に利益やリソース配分を管理しやすくなるため、資本効率を高める効果があります。


10. サンケイビルの完全子会社化とリビング新聞社グループの離脱

10-1. サンケイビルのTOBと不動産セグメント強化

フジサンケイグループでは、不動産開発を手掛けるサンケイビルの存在も大きな収益源でした。2012年3月8日、フジ・メディア・ホールディングス(FMH)はTOB(株式公開買付け)によりサンケイビルを連結子会社化。その後、同年8月2日付で完全子会社とすることで、都市開発・観光事業を一層強固にしたのです。

不動産事業は、広告収益が景気で上下しやすいメディアビジネスとは違い、中長期的な家賃収入や売却益、またホテル・リゾート事業による安定収益を見込めます。こうした「資本構造の多様化」が、フジサンケイグループの収益安定に寄与しているわけです。

10-2. サンケイリビング新聞社のRIZAPグループ入り

一方で、長年にわたりフジサンケイグループのフリーペーパー事業を担ってきたサンケイリビング新聞社は、2018年3月29日にRIZAPグループに株式80%を売却され、グループから事実上離脱しました。FMHは20%を継続保有しているため完全撤退ではありませんが、「リビング新聞社グループ」は解体となり、資本上の位置づけが大きく変わったのです。

背景には、フリーペーパー市場の変化や広告モデルの転換などもあるでしょう。グループ全体の資本効率を高めるためには、不採算やシナジーが薄い部門の切り離し(いわゆる事業ポートフォリオ再編)は必然の選択肢です。


11. 資本関係を整理する:主要企業・法人の財務構造と連結・持分法のポイント

フジサンケイグループを整理する上で、特に重要なのはフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の連結対象持分法適用関連会社の区別です。以下が大まかな構図です(2024年現在):

  • 認定放送持株会社:フジ・メディア・ホールディングス(FMH)
    • 連結子会社
      1. (株)フジテレビジョン
      2. (株)ニッポン放送
      3. (株)ポニーキャニオン
      4. (株)サンケイビル
      5. (株)ディノス(DINOS CORPORATION)
      6. (株)ビーエスフジ(BS放送)
      7. ほか多数
    • 持分法適用関連会社
      • (株)産業経済新聞社(産経新聞社):間接含め出資比率45.4%
      • 一部の地域テレビ局(例:関西テレビ放送、東海テレビ放送、テレビ西日本等)
      • その他、FMHグループに属さない放送局や出版関連会社

一方、文化放送は旺文社などの資本が入る関係で、フジサンケイグループ内では形式的な位置づけに近く、FMHとしての連結対象外です。ただし、フジテレビやFMHに非常勤取締役を派遣しているため、一定の協力関係は保たれています。


12. 放送事業と新聞事業のクロスオーナーシップ:文化放送の「形式的参加」問題

フジサンケイグループの放送事業者はフジテレビ、ニッポン放送、文化放送、ラジオ大阪の4局に大別されます。そのうち、文化放送だけが経営方針や資本構成の面で“対等なパートナー”というよりも“歴史的・形式的な参加”に近い存在となっています。これは、かつて鹿内信隆が主導した「文化放送株の譲渡工作」によって、筆頭株主となった旺文社に経営権が移ったことが遠因です。

加えて、新聞社(産経新聞社)とのクロスオーナーシップは、日本の放送法や独占禁止法の枠内で成立しているため、本来ならば規制が厳しいはずの「新聞×テレビ×ラジオ」の相互保有が、歴史的経緯のもとで許容されてきた面があります。まさに、資本関係の複雑さがもたらした日本独自のメディア構造といえるでしょう。


13. スポーツビジネスと資本:プロ野球球団の保有と譲渡の背景

13-1. 国鉄スワローズ買収と「サンケイスワローズ」

フジサンケイグループは、かつてプロ野球球団「国鉄スワローズ」を“サンケイスワローズ”として経営し、のちにヤクルト本社へ譲渡しています。メディア企業がプロ野球球団を保有する利点は、試合放映権の独占や観客動員力を活かした広告効果です。特に、テレビとラジオが優先的に試合中継を行えるというのは、巨額の広告収入を生む可能性を秘めています。

13-2. 横浜ベイスターズ株の保有と譲渡

一時期、ニッポン放送が「大洋ホエールズ(のち横浜ベイスターズ)」の株式を30%以上保有していた時期もありました。ところが、野球協約では同一資本が複数球団を経営することを禁止しているため、フジサンケイグループがヤクルトと横浜の二つの球団に影響力を持つ状況は協約違反にあたり、結果的に株式は譲渡を余儀なくされました。資本の論理とスポーツビジネスの慣行との摩擦が表面化した好例と言えます。


14. 公益法人グループと広告賞・文化賞:非営利法人を通じたブランディング

フジサンケイグループには、メディア事業や不動産事業だけでなく、美術館運営・社会福祉活動を担う公益法人が併設されています。

  • 公益財団法人 彫刻の森芸術文化財団
  • 公益財団法人 日本美術協会
  • 社会福祉法人 産経新聞厚生文化事業団

こうした非営利法人や財団法人を活用することは、グループ全体の企業イメージ向上や文化貢献に寄与します。一方で税務上も有利な面があり、スポンサーシップやイベント運営における費用を“寄付”として算定しやすいというメリットも。資本の論理から見れば、広告宣伝費と社会貢献活動をバランスよく行うことで、ブランディングと節税の二重効果を獲得しているわけです。

さらに、フジサンケイグループ広告大賞正論大賞高松宮殿下記念世界文化賞などの各種表彰制度も、同グループがもつ「社会的ステークホルダーとの関係性」強化の一端を担っています。


15. 結論:資本はグループをどう変え、どう未来をつくるのか?

フジサンケイグループの歩みを、経理・財務という視点から眺めてみると、常に「資本構造の見直しと再編」が大きなキーポイントになっていることがわかります。ラジオ局同士の合併出資で生まれたフジテレビ、経営危機の産経新聞社を買い支えた財界資本、そして鹿内家が握っていた議決権を解体したガバナンス改革――すべてが資本の論理によって動かされ、形作られてきたのです。

近年では、インターネット配信やデジタルメディアの台頭により、テレビ・ラジオ・新聞という既存メディアのビジネスモデルが激変しています。こうした環境変化に対応するためにも、フジサンケイグループは持株会社形態の下で事業ポートフォリオを柔軟に再編し、都市開発・観光などの安定収益源をさらに強化しながら、IT・コンテンツ技術への投資を進めています。

資本は常に流動的であり、必要とあれば組み替えも躊躇しない。
これこそが、フジサンケイグループが日本最大級のメディア・コングロマリットとして存続し得る秘訣なのです。

私たち経理や財務担当者の視点からすれば、フジサンケイグループに限らず、企業の成長や事業再編には「シナジーを生む資本構造」「規制を乗り越えるための金融スキーム」「投資家・ステークホルダーの信頼」が欠かせません。フジサンケイグループの歴史は、それらを駆使しながらメディア企業として進化を遂げてきた教科書的事例とも言えます。

これからのフジサンケイグループは、放送持株会社としての強みを活かし、さらなる事業多角化や海外展開を図る可能性があります。 例えば、映画コンテンツや音楽配信を世界市場に売り込む戦略、不動産リートを活用した国内外の都市開発、あるいは通信販売事業の越境ECなど、多様なシナリオが考えられるでしょう。その土台となるのは常に、「資本をどう集め、どう使い、どう回収するか」という経理・財務のロジックにほかなりません。



総括

今回、フジサンケイグループの企業史を「資本の論理」から振り返ってみると、“メディアビジネスと資本市場の相乗効果” が常に根底に流れていることが再認識されます。経営が危うくなれば資本を増強し、巨大化するとガバナンス改革で株式を整理し、新たな事業(不動産・通販・映画)へ積極的に投資する。その繰り返しがグループの拡大と安定を支え、現在の“多角的大企業”の姿を作り上げました。

メディア業界を取り巻く環境は、今後さらに激変していくでしょう。動画ストリーミングの普及やSNSの台頭、紙媒体から電子媒体への移行など、既存の収益モデルが揺らぐ中で、フジサンケイグループがどう資本を動かし、どんな戦略で次代を築いていくのか――。その行方を見届けるのは、私たち経理・財務の専門家にとっても大いに学ぶところがあるはずです。

まさに「資本の論理こそが、メディアを含めた企業グループの命運を握る」。
今回の解説が、皆様に少しでもその本質を伝えられるきっかけになれば幸いです。

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