【5分でわかる創業者列伝】
孫正義
「直談判」成功術と世界戦略常識を超えた実業家の全軌跡
日本を代表する世界的実業家、孫正義(そん・まさよし)。彼の成功は決して偶然ではない。その背後には、国籍や言語の壁を超える行動力、誰もが「不可能」と首をかしげる交渉を実現させる突破力、そして次々と新時代を切り拓く先見性が凝縮されている。
本稿では、その人生を高校中退から渡米、コンピューターとの出会い、ソフトバンク創業、Yahoo! JAPAN、ブロードバンド革命、そしてiPhone独占販売に至るまで時系列で整理し、計り知れない影響力を持つ実業家が如何にして常識を打ち破り続けたのか、5分で理解できるようまとめる。彼が辿った道筋から浮かび上がるのは、「どんな壁も戦略と執念で突破する」ビジネスマインドそのものだ。
1. 在日韓国人二世としての出自:逆境を原動力に変えた若き日々
孫正義は、在日韓国人二世として佐賀県鳥栖市に生まれた。幼少期、周囲には国籍を理由にした偏見が残っており、社会的な壁を意識せざるを得ない環境だった。しかし、彼はその状況を嘆く代わりに、「困難があるのなら、それを突破する術を身につければ良い」と発想を転換する。
高校在学中、夏休みを利用してアメリカへ短期留学した経験が決定打になる。「世界で成功するには、世界の中心であるアメリカで学ぶしかない」と確信した彼は、なんと高校を中退して米国留学を実行。当時としては異例な決断だ。ここには「国籍や出身地は関係ない。実力で世界を制する」という断固たる意思が宿っていた。
2. 藤田田との出会い:大実業家への直談判が運命を動かす
渡米前のある日、孫は日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に直談判する。当時、藤田は「ユダヤの商法」というベストセラーを著し、その卓越したビジネス手腕で知られていた。高校生が大物実業家に直接会いに行くなど非常識に見えるが、孫は何度追い返されても諦めず、「孫です!」と名乗り続けた。
ついに藤田との面会が実現し、藤田は「これからはコンピューターの時代だ」と助言を与える。この一言で孫の人生は大きく方向づけられた。アメリカで学ぶべきは英語だけではない。時代を変えるテクノロジー分野、その中核であるコンピューターこそが勝利の鍵だと悟ったのである。
3. カリフォルニア大学での挑戦:州知事を動かした交渉力
渡米後、孫はカリフォルニア大学への進学を目指すが、入試では英語力が足かせになる。そこで彼は試験官に「もしこれが日本語なら解ける。だから辞書使用と時間延長を認めてほしい」と要求。常識的には受け入れられるはずもない要求だが、孫は即答で引き下がらない。
試験官が断ればその上司へ、その上司が断ればさらに上へと交渉を積み重ね、最終的には州知事レベルで許可を勝ち取ったと伝えられる。このエピソードは孫の本質を示す。条件が不利なら条件を変えればよい——誰も考えない非常識な交渉でルール自体を書き換える力こそ、後のビジネスでも炸裂する。
4. 大学在学中から「億単位」の成果:自動翻訳機とインベーダー逆輸入
カリフォルニア大学在学中、孫は自動翻訳機を開発し、日本のシャープへ1億円で売却。この時点で学生とは思えぬ規模の事業成功を収めている。さらに日本でブームが去ったインベーダーゲーム機を格安で買い叩き、アメリカで再び販売して再ブームを起こした。
この一連の動きは「時代を読む」才覚と「市場を跨ぐ」手腕を端的に物語る。単にコンピューターを学ぶのではなく、それをビジネスチャンスに転換し、実際にキャッシュとして手中に収めることができる。若き孫は既に「戦略家」としての才能を開花させていた。
5. ソフトバンク創業:無名企業が大手と肩を並べた展示会戦略
卒業後、帰国した孫は「日本ソフトバンク」(後のソフトバンク)を設立。当初はPCソフトウェアの卸売を中核事業とし、まだ未成熟だった日本のPC市場で「ソフトウェアの銀行」として存在感を高めていく。
転機となったのが大規模な家電・エレクトロニクス展示会への出展だ。設立間もない無名企業にもかかわらず、資本金1,000万円のうち800万円を投じて、SONYやPanasonicと同等サイズのブースを確保。「一体何者だ?」と大手企業関係者やメディアが驚く中、ソフトバンクは一瞬で注目度を獲得した。ここに見られるのは「最初のインパクト」を最大化する戦略思考である。
6. Yahoo! JAPAN創設:3ヶ月で日本展開を実現したスピード狂
インターネット時代に突入すると、孫は米Yahoo!へ投資し、「Yahoo! JAPAN」設立を目指す。しかし日本展開を希望する企業は他にも多く、米Yahoo!は慎重なパートナー選定を迫られる。
この競争で孫は他社が提示する1年程度の計画を尻目に「たった3ヶ月で日本を設計する!」と豪語した。誰もが「無理だ」と思う中、それを実現してしまう行動力と実行力。こうしたスピード感は後のブロードバンド事業、携帯市場への参入でも顕著に発揮されていく。
7. ネットバブル崩壊:株価10分の1でも「これで次の勝負ができる」
2000年代初頭のネットバブル崩壊は、IT企業に大打撃を与えた。ソフトバンクも株価が10分の1以下に暴落し、誰もが「これで終わりか」と思った。しかし、孫は違う。
この危機的状況を前に、彼は「株価が下がったら、また安く買える。次の勝負ができる」とむしろ目を輝かせる。当時、萎縮する業界を横目に、新たなテクノロジーや市場を求める孫の好戦的姿勢は際立っていた。問題は逆転のきっかけであり、常に先を睨む「逆境耐性」がここで明確になる。
8. vs NTT戦:ブロードバンド革命と通信市場への本格参入
インターネットが高速通信の時代へとシフトする中、孫はブロードバンド事業(Yahoo! BB)を立ち上げ、既存の巨人NTTに挑戦する。当時、回線や設備はNTTの独壇場で、競合他社が割り込むのは極めて困難だった。孫は規制や許認可問題を一つ一つ突破し、通信コストを劇的に下げてユーザー数を拡大。
この過程で公的機関や規制当局への働きかけ、インフラ環境の交渉など、これまで誰もやってこなかった大手への真っ向勝負を遂行した。こうしてソフトバンクはブロードバンド普及の先兵となり、固定通信、さらには移動体通信(携帯電話)市場への参入への足がかりを築く。
9. iPhone独占販売:ジョブズとの交渉とブランド刷新
ソフトバンクは、ボーダフォン日本法人を買収して携帯キャリアへ本格的に参入。そこへ登場したのがスティーブ・ジョブズ率いるAppleのiPhoneだ。
多くの通信会社がこの革新的デバイスを扱いたいと望む中、孫はジョブズとの直接交渉で「まずはうちで独占販売を」と迫る。Appleはデザインやブランドイメージに厳しい基準を持つ。孫は店舗デザインをシンプルな白を基調とした清潔感のあるスタイルへ刷新するなど、Appleを納得させるため全力を尽くす。結果、iPhoneの先行販売は日本におけるスマートフォン市場拡大をリードし、ソフトバンクは国内トップクラスの通信企業として不動の地位を確立した。
10. 理念・ビジョン・社会貢献:未来を見据えた長期戦略
孫は常に「情報革命で人々を幸せにする」という理念を掲げ、長期的なビジョンを示してきた。彼は30年単位で世界の技術進化や市場変化を見通し、その上でどの分野に投資し、どの技術を吸収するかを決める。
東日本大震災時の100億円寄付など、社会貢献にも積極的であることは有名だ。単なるビジネスパーソンではなく、人類全体が直面する課題にテクノロジーで挑む「先導者」としての意識が感じられる。この壮大な視座が、ソフトバンクグループを従来の通信企業の枠を超えた「テクノロジー投資企業」へと変貌させる原動力になっている。
まとめ:常識を塗り替える実業家、その思考法
孫正義は、国籍や偏見を原動力に変え、直談判で大物実業家から新時代のヒントを得る。英語の壁さえ交渉で打破し、学生時代から億単位の成果を上げ、無名企業を一夜にして注目企業へ躍進させる。ネットバブル崩壊後には再起を期し、NTTとの対決で通信市場に風穴を開け、Appleとの交渉で日本のスマホ市場を塗り替える。
この一連の軌跡が示すのは、困難に直面したとき、新たな価値を創り出すための「大胆な戦略と粘り強い行動力」。孫正義の人生は、ビジネスを従来の枠から解き放ち、世界規模で常識を更新し続ける実例である。その強烈な突破力は、次なるイノベーションのステージで再び炸裂し、新たな歴史を刻むだろう。